ゆるく泳いで

島根で生きてます。

鬱になったら病院へ(最終日)

引き続き記録を書いていくよ。

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休職から1か月が経ち、世間は新年度。私はまだ引きこもっていた。

相変わらず職場からの電話は無視していた。

 

ここで職場から妻の携帯電話へ電話がかかる。

ついに妻に、職場と連絡を取っていないことがばれてしまった。

しかし妻は優しかった。私を抱きしめてずっと話を聞いてくれた。

涙が止まらなくなった。

こんなに泣くのは初めてだった。

大人になって泣くのは情けないことだ。

みっともないことだ。

いまでもこの考え方は変わらないが、泣かなければならないときもあるようだ。

泣くというのは、自分の感情を表にさらけ出し、相手を信用するということだ。

私の信用すべき相手は妻だ。

こんな当たり前のことすら私はわからなくなり、妻にずっと黙っていた。

妻も不安だったのに、私の前で明るくいるようふるまっていた。

 

この人と結婚してよかったと思った。

 

休職から1か月半、ここからやっと人事課と話を進めていくこととなる。

 

とりあえず出せていなかった不足期間分の診断書を提出する。

そして、今後の復帰プランについて考えてもらった。

職場へ顔を出すのは半月後となった。それまではゆっくり休んでいいよと言われ、私は心底安心した。今まではほぼ無断欠勤に近かったため、いつ職場から電話がくるか、びくびくしながら過ごしていた。これからは公式に休むことが認められたのだ!やった!

 

その半月を使い、私は自分を見つめなおすため、認知行動療法を始めることとなるが、これについてはまたいつか書きたい。心の病気ではない人にもおすすめしたい治療法だ。

 

そして3か月目、ついに職場へ顔を出すこととなる。

まずは1時間から始め、徐々に時間を増やしていった。最初はとにかくつらい。すっごくつらい。息が上がるし、体が震えるし、ちゃんと話ができない。しかし毎日職場へ行き続けた。妻がいたから頑張れた。

 

3時間勤務、半日勤務と時間をのばし、ついに終日勤務を成し遂げた。

後輩がおめでとうございますと言ってくれた。

後輩にも死ぬほど負担かけたのに、いい子でよかった。

 

私は周囲に恵まれていたことに気付いた。妻、同僚、後輩、人事課。いやな人もいるが、いい人もたくさんいたのに。暗い中にいるとそれが見えない。光の中にいないと周りが見えない。

 

鬱は甘えではない。病気だ。甘えと言ってくる人間に繊細な人間の気持ちはわからない。気にするな。分かり合えない人間とかかわるな。鬱になるぞ。

長い人生病気にもなるさ。風邪ひかない人間のほうがおかしいのだ。ゆっくり治していこう。私の経験が少しでも誰かの参考になったらうれしい。

 

鬱になったら病院へ